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執筆者の写真馬場精子

「柳家小三治・柳家三三 親子会」 朗読に通じること


 今日は「柳家小三治・柳家三三親子会」へ行って参りました。一昨日、京都のロームシアターでもあったのですが、その日はちょうど朗読教室の日であるため、参加が叶いませんでした。

 それで滋賀県の栗東芸術文化会館を予約したのです。いつもなら滋賀県へは車を使うところですが、本番1週間前ですし、また今日はお天気も良いので、電車で行くことにしました。JR琵琶湖線の車窓から見える風景は、いつもよく車で走っている見慣れた景色のはずなのに、何かとても新鮮で、嬉しくなります。




 

 会場は、方向音痴の私でもわかりました。駅から7、8分も歩けばすぐです。平和堂を過ぎると、すぐに立派な建物が見えてきました。


 でも、入口が分からず、何やら遠回りをしてしまいましたが。やはり、何かやってしまいますね。ポスターを見つけ…ほっ。


 座席は上手寄りでしたが、中央より前でした。お芝居もですが、やはり演者の表情がはっきりと見て取れ、存在を感じることができる席は、より、楽しむことができますね。




 

最初の、柳家三三師匠はマクラで、何度も会場を沸かせます。軽妙な話術で、知らない間に三三ワールドに引きずり込まれていました。「悋気の独楽」(りんきのこま)は主人が最近どうも怪しいということで、妻が丁稚に夫の後をつけさせるというお話でしたが、表情、そして間が何とも言えず、おもしろかったです。




 

 柳家小三治師匠は「馬の田楽」。よかったですねぇ。今日は来ることができて本当によかったと思いました。


 「言葉」や「内容」がおもしろいだけで人は笑うのではないんですね。そのセリフを言うそれぞれの人の人生があるし、立場もある。どんな場所で、時間帯で、誰に対して、どんな気持ちで話しているのか。そして、話すときには、相手がある。相手との関係によって「声」も変わるし、「間」も変化する。


 以前、TV番組で小三治師匠のことを特集していて、スタジオで、ある学者先生とアナウンサーの方が、インタビューする場面がありました。確か「〇〇の声、演ってみてください」と、学者の方が言われました。その瞬間「何ということを…」と思って見ていました。すると、小三治師匠はしばらくの間じっと考え「できねえな」とひと言。「老人」の声、または「子ども」の声を出して、と言われても、それは先程書いた理由などからも、出せないのです。(もちろん「よくわからないけれど老人の声」は出せますが)


 それと、「空気」ということを今日はお話しされましたが、これも、いつも朗読のレッスンの時に私が生徒さんに申し上げていることです。私たちは朗読をするとき「空気」を作るのです。声の様々な調子、大きさであったり速さであったり、間であったり(その他にもたくさん!)それが「表現する」ことにつながっていくのです。それをお客様が感じてくださり、また空気を作っていきます。


 私は師匠のお話をお聞きして「朗読」と同じだと思いました。人間国宝である方の仰ることを同じだと言うなんて、失礼なことかもしれないのですが。でも、同じなのです。小三治師匠の声、そして間は、様々なものを表現し、深みのあるものでした。京都では、「死神」をされたそうですが、お聞きしたかったですね。ぜひまたお聞きしたいと思います。

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