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  • 執筆者の写真馬場精子

「奏墨」野村昌司風画展〜宇宙の色〜へ そして表現することについて

更新日:2018年5月23日


 「1分間」。この時間は短いのか長いのか。短く感じるのか長く感じるのか。それは、その時、その人の、そのモノやコトに対する感じ方や考え方、心の有り様で変化すのだろうと思う。一般的には短いと「考えられる」であろうこの時間内に、1枚の絵を描く。

 

 伏見桃山の"La Neige"(ラ・ネージュ)さんで開催されている「奏墨」野村昌司風画展〜宇宙の色〜”。1分間の絵”ライブ、トークとワークショップにも参加しました。




 向かって左が、ラ・ネージュ亭主 四方有紀さん。右手が野村昌司先生。絵に囲まれて、お二人のトークが繰り広げられました。そして、この後、野村先生による「1分間で絵を描くライブ」を拝見。1分間で一つの作品が描き上がることに会場からため息が聞こえていました。


 


皆様は、絵を描くということに抵抗はありますか?絵を描くことが好きであったり、得意である人を除いて、多くの人にとって「絵を描く」ということは、苦手なこと、恥ずかしいことという感覚ではないでしょうか。実は、私がそうです。子どもの頃は、絵を描くことがとても好きだったのですが、いつの間にか、「下手なんですけど」と、不必要な前置きをしてしまう自分になりました。



 

「1分間で絵を描く」こと。これにより、「思考を外す」ことが可能になります。私も、コンテを持ち、書き始めた途端、自分の変化に驚きました。何か、身体が熱くなり、気持ちも高揚して、夢中で描いていました。1分間という限られた時間だからこそ、描くことだけに集中できるのだと思います。




 こんなふうに描こうとか、こんなふうに見せようとか、そういった気持ちは、不必要というよりは、表現することにとっては、邪魔でしかありません。


 そして、このことは「朗読」にも言えることで、私がまさに常々生徒さんに申し上げていることなのです。「考えるより感じること」が大切なのです。



「人にどう思われるだろう」「上手だと思われたい」そういった邪念は、作品をつまらなくしてしまうだけでなく、自分の人生をもつまらなくしてしまうことになりかねません。



 

 参加者の方がそれぞれ感想を話されました。その中で絵を描くことが嫌いになった理由の一つに、「子どもの頃、学校の先生に絵が下手であると評価を下された」経験をお持ちであるというお話しされていました。芸術を本当に理解している方であれば、決してそんなことを口にするはずはないのですが。とても残念ことです。




 

 それにしても、野村先生の作品に囲まれたこのラ・ネージュさんの空間は、なんて自由な空気が流れているのでしょう。


 絵と朗読の共通点について気がついたことをお話しすると、参加されていた方の中に、朗読にも関心を持ってくださる方がいらっしゃり嬉しく思いました。





私も皆様のお考えを聞いたり、表現することに関して自分の本音を話すことができて、とても充実した時間を過ごすことができました。


 ところで会場の絵は先生の奥様が配置されたそう。ステージでどう表現しようかと考える演出家のようですね。物語を感じました。




 

 展示されていた絵は、綿布に下地としてアクリル絵の具を塗り、その上に墨で描かれているそうです。その墨は硯でゆっくりとすり、その香りを感じ、無になって一気に描かれるとのこと。古木を磨いてその上に貼られた絵。

 

 中でも「ほほえみ」と名付けられたその絵は、とても印象的でした。





 宮沢賢治が、生きている意味を問われた時に、それを探すために生きていると答えたそうです。私もふと考えました。


結果を出すために生きているわけでもない。ましてや、何か評価や地位や物を得ることが目標ではない、表現することが幸せなのだと。



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